雪の大内宿へ
雪の大内宿へ
昨年は五箇山(ごかやま)へ雪の合掌造りを見に行ったが、雨が降り屋根に積もった雪を見る事が出来なかったので、今年は福島の茅葺(かやぶ)きの家が多く残る雪の大内宿へ行く計画を立てた。
ネットで調べるとまだ雪の日があり屋根に雪が積もっているようだ、これなら雪の中の宿場町を見る事が出来そうだ。
今日はいい天気で絶好のドライブ日和(びより)だ、8時に市原インターを通過し首都高速も東北道も順調に流れ12時に猪苗代磐梯(いなわしろばんだい)高原インターに到着。
路面に雪は無いが雪をまとった磐梯山(ばんだいさん)を見ると、雪国へ来たなとわくわくしてきた、すると急にお腹が空いていたのを思い出した。
会津民俗館の近くの食堂に入ると、愛想のいい女将(おかみ)さんが奥のテーブルを勧(すす)めてくれた。
それはテーブルなのに布団(ふとん)が掛けてあり、足元では練炭(れんたん)が赤く燃えていてまるで椅子(いす)に座るコタツそのものだ。
足がぽかぽかして、寒い外から来た人にとってはいい物を考えたな。
ここは喜多方(きたかた)ではないが喜多方ラーメンとコーヒーを注文、同行者がビールと味噌田楽(みそでんがく)に漬物を注文すると、お通しにぜんまいの煮物が出て来たので食べさせてもらうと、味付けが良くお土産に買いたいと思ったが土産用は作っていないとの事、残念だ。
大葉の焼きおにぎりをサービスしてくれたが、ラーメンを食べた後なのに美味しいのでお腹に収まってしまった。
お腹も落ち着いたので、野口英世記念館に行くが彼の功績と母の愛に心を打たれた。
志を得ざれば再び此地を踏まずと柱に書いた決意、研究中に自らが発病してしまい命を落とした事。
外へ出ると雪が舞っているが積もらなければいいのだが。
雪の中を向かい側にある世界のガラス館を見学に行くと、いろいろな種類のガラス製品が展示され販売しているが今日は見るだけにしておこう。
オルゴール館では買いたい衝動に
猪苗代おかし館では友人に土産を買うが、明日もある事だし控えめにしておこう。
宿のチェックインの時間も近い事だし、雪が深く積もらない内に出発する事にして車へと急ぐ。
雪の降る高速道路を走るが、経験の少ない私にとっては吹雪のように感じられる。
一区間の高速だ、焦(あせ)らないで落ち着いて行こう。
トンネルに入り目の前が気にならなくなった、暫(しばら)くすると車の後部全体が揺れている、パンクならハンドルをどちらかに取られるはずなのにおかしいな。
同乗者から止めて確認した方がいいよと言われ、非常駐車帯に車を止め確認するとパンクはしていないようだがまだ体が揺れている。
ここでやっと地震だと気が付いた、それなら生き埋めにならないように早くトンネルを出なくては!
ラジオのスイッチを入れると地震情報が流れている、トンネルを出ると道路が少し盛り上がっている所がある、この先大丈夫だろうか?
高速を降り宿が目の前に見えたが踏切の遮断機が下りている、しかし電車の来る気配は無い、地震のせいで開かずの踏切になっているのだ。
仕方なく遠回りをしてどうにか宿に着く事が出来た。
宿に入ると仲居(なかい)さん達が地震で落ちてきた埃(ほこり)を掃除中だがそこへ余震が起きた、ガタガタと音を立て鉄筋の建物が揺れる。
ロビーにはテレビが無いので情報が分からない、また余震が起きた。
いつまで続くのだろう?
ようやく部屋の準備が整い案内されるとすぐにテレビのスイッチを入れ、ニュースを見ると14時46分にマグニチュード8.8(後に訂正になり9.0となる)の東北地方太平洋沖地震が起きた事を伝えている。
その後に襲ってきた津波の被害がまた甚大(じんだい)で、今まであった街並みが鉄筋の建物を残し全てと言っていい位流されてしまっている。
家も車も船も全て一緒に流されている映像が映し出されているが、これは本当の映像なのか?映画の一シーンじゃないのかと疑いたくなるような光景だ。
この旅行記を書いている時点(4月末)で、死者は14,435人で行方不明者が11,601人となっている。
福島第一原発も津波の被害に遭(あ)い機能はストップし、爆発を起こし建屋が壊れ放射能を含んだ水が海に流れたり、空中へ飛散したりと大変な事態に陥(おちい)っている。
周辺30キロ以内の住人は強制避難させられているが、帰れるまでには何年かかるのだろうか?
震源地から遠く離れた千葉県市原市のコンビナートでは、ガスタンクの爆発事故が起き炎が高く燃え上がる状況が映し出されている。
皆で家族に連絡を取ろうとするが携帯が通じない、何回も掛けている内にやっと通じ、人も家も無事だと聞き安心した。
また同行者の家族や家も無事が確認でき安心して宿泊する事が出来る。
今日の宿泊は3組7人と地震の為に帰れなくなった人10人という事だが、風呂には先客が2人いたがすぐに貸し切り状態になってしまった。
内風呂で体を洗い温まった所で露天風呂へ行くが小雪の舞う外は寒い、湯船に体を浸(つ)けると顔はひんやり体はぽかぽか、目の前に迫る山の雪景色を眺めながらの入浴は気分爽快だ。
余震の続く中での夕食となったが、こう何回も続くと慣れっこになってしまった。
美味しい食事を頂きお酒も入り皆いい気分になってきた、明日は観光を取り止めて一般道で帰らなくてはいけないので、二次会で楽しもうとホテルのスナックでカラオケをする事にした。
お客は自分たち3人、ホステスは仲居さん1人だが結構盛り上がって楽しい時間を過ごせた。
カラオケでかいた汗を流す為に寝る前にもう一度風呂に入る、先に出た同行者がロビーで宿の人に地図を見ながら抜け道の説明を受けている。
郡山方面も道路に影響が出ているようなので農免(のうめん)道路を抜け白河に出るルートだ、詳細地図も貰ったし大丈夫だろう。
明日は何時間かかったら家に着くか分からないので早めに床に就(つ)く事にしよう。
朝の目覚めはスッキリだが、朝風呂に浸かりこれから何時間かかるか分からない帰り道を思うと心は憂うつだ。
朝食もそこそこに帰り支度を整え、9時に宿を後にして自宅を目指す。
教えてもらった道路は被害も無く渋滞にも遭(あ)わず4号線に合流、上りは順調に流れているが下りはひどい渋滞だ。
所々で路肩が崩(くず)れたり道路がひび割れたりしているが、ゆっくり走る分には支障はない。
とはいえ震源地から遠く離れているのに瓦(かわら)が落ちたり、ガソリンスタンドの屋根の下の部分が落下したりとひどい状況だ。
さっきまで渋滞していなかった国道が二車線になったら、左側の車線が渋滞しているけどどうしたんだろう?
少し走ったら理由が分かった、ガソリンスタンドに入る車で渋滞していたのだ。そういえば私の車のガソリンも半分以下になっている、家までは足りないから早めに入れないと。
しかしどこのスタンドも渋滞で2、300メートルは連なっている、もう諦(あきら)めて並ぼうかと思っていたら空いているスタンドがあり、それほど待たずに給油する事が出来た。
これでガソリンの心配は無くなった、後は渋滞と通行止めだが今のところそういう情報は出ていないので一安心だ。
安心してお腹が空いてきたと思ったらもうお昼の時間だ、宇都宮が近いので餃子(ぎょうざ)を食べて行こう。
餃子(ぎょうざ)でお腹が満たされた、さあ、家に向かってもうひと頑張りだ。
埼玉県に入っても屋根の壊れた家が見られる、本当に我が家は被害が無かったのだろうか?
千葉県に入ると家屋の損壊は見受けられなくなったので、被害が無かったというのは本当だろうと思えてきた。
たいした渋滞にも遭(あ)わず11時間かけてやっと自宅近くに着いた。
無事に帰り着いたのを祝してご苦労さん会をする事にして、家に車を置いて迎えを頼み、他の人は無事に着いた事を家族に連絡し 馴染(なじ)みの居酒屋で知人達と
地震の事や旅館での出来事等を肴(さかな)にして酒を酌(く)み交(か)わした。
想定外の出来事に巻き込まれ長い、長い一泊二日の旅行だった。
落ち着いたら是非もう一度リベンジしたいな。
2011年3月11日(金)~12日(土)
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